「缶コーヒー」と「缶」と。

飲み終わった缶に対して僕は冷たい方だと思います。
飲むまでは「缶コーヒー」だったものが「缶」となり、
持っていることが恥ずかしくなります。
飲むまでは自信と希望に満ちているのに、
飲み終えた後は後ろめたさと恥ずかしさで、「缶」の存在が煩わしくなるのです。


しかし明くる日の夕方になると、また手が出てしまいます。
恥ずかしくて捨ててしまうのに、そんな事は忘れています。

ただ、忘れることは恥ずかしくありません。
むしろ嬉しい。だから飲みます。