新横浜

先日、「弥生の人々の眠る場所」という企画展を見に、横浜市歴史博物館に行きました。
博物館は横浜の西北に広がる港北ニュータウンの中心部にあり、
市営地下鉄「センター北」駅から徒歩5分程の所にあります。
僕は新横浜駅で地下鉄に乗り換えて向かったのですが、新横浜駅は駅ビル建築中で通路が入り組み迷いかけました。
仮設通路をなんとなく進んで地下鉄方面へ向かう途中、通路に掲示してあった駅ビルの完成図を見て僕は驚きました。
横浜駅は「新幹線停車駅お馴染み」の作りで、改札を出ると三方をビルに囲まれた駅前広場があるのですが、
その駅前広場に地上19階建の駅ビルが建つ予定になっていたからです(完成予想図を写真にとってくるべきでした)。


国道沿いにファミレスや消費者金融の店舗が並ぶ郊外の風景と同様に、
新幹線停車駅の駅前風景は日本全国似ていて、そこから地方の個性や活気の無さが見えると批判する声を聞いたことがあります。
その意味では新横浜は新機軸を打ち出したかもしれません。
計画によると、広場をつぶして駅ビルを建て、広場は二階部分に収めるそうです。
広場を改札口やペデストリアンデッキと同じレベルでつなぎ、
駅の北側のビジネスエリアや近隣の競技場、ホールへの人の流れをよくする効果があるのでしょう。


僕は地元にもあって馴染みのあるペデストリアンデッキが好きで、バリアフリーだし、歩車分離で安全だしで、
乗り換え便利になるならいいのですが、
広場はどこにいくの?と疑問に思ってしまいます。
ビルの中の広場なんて、広場と言えるのでしょうか。
「形態は機能に従う」なら立派に広場かもしれませんが。


ファサードの大部分をガラスにして、「内と外を繋ぐ」とか、「外の季節を内で感じる」とか、もうなしにしてほしいです。
「建物」に機能を集めることが本当に求められているのでしょうか。
街を作るのは色んな要素で、それぞれの欲望と牽制で街は形成されていると思います。
今は建物が広場を飲み込む時代みたいですが、本当にそうでしょうか。
広場は建物を飲み込めないのでしょうか。
僕はファックバーガー、缶コーヒーで流しこみました。


企画展は案外展示品が少なくて、寂しかったのですが、
帰りに博物館周辺のマンション建設中の環濠集落遺跡「跡」を見て、
弥生に思いを馳せました。